
ことむすびについて
むすび
「むすび」という言葉には深い思いがあり、長く大切にしてきました。重みがあり過ぎて、容易には使えない言葉でもあります。
「むすひ」は、古事記では「産巣日」、日本書紀では「産霊」と記されます。その「日」や「霊」の字は畏れ多く、音を奏でる琵琶から一字を頂いて、「産巣琵」としました。
何もないところに、ぽこっ、ぽこっと、何かが生まれてくる。集まり、響き合い、そこに息吹が通う。そのはたらきを感じるとき、ただ、すごいと思います。自分の力ではなく、考えてもみないはたらきに運ばれていく。むすびとは、そういうものだと感じています。
こと
「こと」を平仮名にしたのは、言・事・琴の、三つの「こと」をすべて含めたかったからです。
言
言霊という言葉は誰もが知っていますが、何気なく使っていて気づかないことがあります。「髪を切る」は、音にすると「神を切る」と同じです。ある山里では「髪を短くした」と言うのだと聞いて、初めて気がつきました。
日本の美しさのひとつは、日本語にあると信じています。色や時刻や、その時々の様子に合わせた美しい言葉が、まだ山のようにあります。言葉はただ発すればよいものではなく、ぬくもりと響きを宿した、大きな力を持つものです。
葛城の一言主大神は、「悪事も一言、善事も一言、言い離つ神」と名乗られたと古事記にあります。その一言一言が、ものごとを形づくっていくと言っても、過言ではないと思います。祝詞から言霊を学ぶ会を開いたのも、その思いからでした。言葉だけで伝え合っていた時代も生きてきたからこそ、日本語がないがしろにされていくことを案じています。
事
これまで、ものごとを書くときに「事」という字は使ってきませんでした。あまり良い印象を持っていなかったからです。
それでも今回この字を選んだのは、いま、事代主神のことが大事だと思ったからです。えびす様として親しまれる、神の言を代わって告げる神様です。世の中から笑顔が減っていくことを、悲しんでおられるのではないかと、本当に思うことがあります。
その御名を、私は「事知ろし召す」と響かせて読んでしまいます。語源は別のものですが、事を代わって告げるには、まず事を知らねばなりません。事象をしっかりと見つめる目。それが、いまこの時に大切なことだと考えています。
琴
古くは、弦を張った楽器はすべて「こと」と呼ばれました。琵琶もまた、その仲間です。「産巣琵」の一字は、はじめから「こと」とつながっていたことになります。
古事記には、仲哀天皇が琴を弾き、神功皇后に神がかって、神の言葉が告げられた場面があります(日本書紀では、琴を弾いたのは武内宿禰です)。琴は、神の声を招き、受け取るための楽器でした。心の奥の感じやすいところを「琴線」と呼び、人の仲がむつまじいことを「琴瑟(きんしつ)相和す」と言うのも、琴の糸と響きから来ています。
弦は、張り詰めすぎれば切れてしまい、緩めすぎれば音は鳴りません。その人を指図するのではなく、その人本来の音が鳴るように、静かに糸を張り、その響きが生まれてくるのを待つ。私が「ことむすび」と呼ぶはたらきは、そういうものでありたいと思っています。
亡くなった高校の恩師は琴の師匠で、私に「お琴の先生になったらいい」と言ってくださいました。いま、思いもしなかった形で、その言葉に少しでも近づけているとしたら、幸いです。
ことむすび
言をむすび 事をむすんで 琴をむすぶ
三つの「こと」をむすぶはたらきに、
これからも務めてまいります。
