相手のなかに、都合のよい姿を思い描く。あるいは、望まれた役を、懸命に演じてみせる。応えてくれぬと言っては憤り、応えられぬと言っては己を責め、終わりのない落胆に、心を沈めていく。
だが、見よ。波打ち際の砂に、指で描いた一枚の絵を。それは相手の姿ではなく、こちらが勝手に砂へ刻んだ、ひとときの線に過ぎない。寄せる波がひとたび伸びれば、跡形もなく均されていく。
もとより相手は、その人の因果を生き、ただ己の道を歩いているだけのこと。こちらの描いた線を、なぞって歩く理(ことわり)などどこにもない。完璧を求めて裏切られたと嘆き、誰かの期待を背負って息を詰める必要はない。虚妄の正体に静かに気づいたとき、描こうとする指はとまり、私たちはただ、波に均されたまっさらな砂の上で、ありのままの相手と、ありのままの己に出会う。
