家、富、精巧な道具。あるいは、築き上げた地位や、愛する人との絆。手に入れたものを「我がもの」と呼び、失うまいと必死に拳を握りしめる。その握力こそが、自らを縛る不自由の正体である。
だが、見よ。水面に浮かぶ泡沫を。水と、風と、光という天地の「むすび」によって一瞬だけ形を成し、次の刹那には弾けて消え去る。私たちが「所有」と呼ぶものもまた、因縁の流れがたまたま今、手元に留まらせている一時的な幻影に過ぎない。
元来、この宇宙に「自分のもの」など物質として存在しない。すべては天地からの厳かな借り物である。掴もうとするから、手が痛む。失うことを恐れるから、心が枯れる。所有という檻を破るとは、すべてを投げ捨てることではない。ただ、天地の豊かな流れの中に、そっと置いておくということ。てのひらを開き、流れを流れのままに許したとき、私たちは初めて、世界をありのままに愛する自由を手にする。
